八戸レビュウ、故郷の人々
ヨコハマトリエンナーレの本会場ではなく、連携プログラムである「新・港村」へ一番最初に行ったのには目的があった。
それは、『八戸レビュウ』。

「市民の手で、日々この街に生きる市民の人生のひとこまを記す」と言うコンセプトで、市民参加のもと行われたのが『八戸レビュウ』。
作家・木村友祐さんとクリエイティブディレクター・佐藤尚之さんのアドバイスをもとに、八戸の様々な場所で生きる、様々な年代の人々について、その人の人生のストーリーを市民88人が書き上げたのだそう。
そして、プロの写真家である梅佳代さん、浅田政志さん、津藤秀雄さんが、そのストーリーに描かれた人々のポートレートを撮影。
その写真とストーリーが展示されるイベントが『八戸レビュウ』なのだそう。

今年の2、3月に八戸にて行われたこのイベントが、新・港村に来ているとのことで、八戸に縁ある者として、ぜひ行かねば!と思い、自転車で向かった。

新・港村のギャラリーコーナーの一角に、『八戸レビュウ』と書かれた大きな部屋があった。
その中へ入ると、壁一面に、大きなポートレート写真がいくつも展示されていた。
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写真が好きなのに、今までポートレート写真というものに、あまり感慨を持ったことがなかった。
でも、この『八戸レビュウ』の写真を見て、本当にびっくりした。
今にも表情が動きそうな、いきいきとした被写体。これがプロの撮るポートレートか。
自分の故郷の人々に対する愛情も、この感慨の一因なのだろうけれど、それにしてもいい写真だなあと思った。

種差海岸(おそらく)の緑の芝生を妙齢のご婦人が歩く。その写真からは、まるで東から吹き抜ける山背の風が吹いてくるみたい。
早朝の神社で微笑む神主さん。石畳を掃く箒の音や、朝の小鳥のさえずりが聞こえてくるよう。
市場で魚を抱えてポーズをとる漁師さんは、満面の笑顔だ。独特の生臭さが鼻を掠め、活気あふれる市場の音と、奥に立つおばさんの笑い声が聞こえてくる気がする。

どの写真も、被写体の人生の断片が活き活きと切り取られていた。
ある人は優しい光に包まれて。ある人はスポットライトの輝く光の中で。
控えめな曇り空の下で。静かで寂しげな森の中で。抜けるような青空の下で。

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一緒に展示されているストーリーを読む。一人一人のその日を、その人生を、じっくりと読み込んでいく。
そして、しみじみと、すごいなあと思った。自分の故郷にこれだけの多様な人生があるなんて。
余所の土地から様々な理由で移り住んだ人や、もう何十年も八戸を出たことがない人。
たくさんの可能性と未来を抱く、子供や学生さん。
人の数だけ人生がある。それが、今更ながらに心にストンと落ちた。

八戸を出て、十年になる。
ちっぽけな私の人生は、故郷を出て、横浜へ来てやっと動き出したのだと思っていた。
だけど本当は、八戸にいた頃から、八戸という温かい(そして少し寒い)ゆりかごの中で、のびのびと私の人生は育まれていたんだと思う。この様々な人生の一つとして。

そうして、そういう奇跡が、きっと八戸だけじゃなく、世界中で起こっている。
八戸レビュウはその小さな断片。
私の友人も、会社の同僚も、ブログで出会う人々も、きっと皆に、生まれてから今までの物語があって、どれ一つとっても同じ人生はないのだと思う。
そして世界中に、そういうストーリーを育んだ町がある。
その物語を全部読めたら、きっと楽しいだろうなあと思った。そういえば、ブログを通して、その人の人生を垣間みるのは、それに少し似ているように思う。だから、自分はブログを読むのが好きなんだなあ。

「その人の一日を見れば、人生がわかる」
そういう言葉をどこかで聞いたことがある。『彼女を見ればわかること』だったか、『めぐりあう時間たち』だったか、どちらかの映画作品の紹介文だったような気がする。
一日ではないけれど、誰かの人生の断片を見るのが好きだ。それがドラマチックであっても、平凡なものであっても。
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by norlie | 2011-08-27 22:14 | Diary
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