宮沢賢治に会いに行く@岩手・花巻
物心ついて文字を読めるようになった頃から、ずっと馴染んでいる作家が二人いる。
一人はイギリスの絵本作家、ビアトリクス・ポター。
そしてもう一人は、岩手の童話作家、宮沢賢治である。

花巻市には、宮沢賢治にまつわる施設や場所がたくさんある。
以前、花巻を訪れたのはもう10年くらい前のこと。大好きな作家にもかかわらず、そのときの記憶がほとんどない。
俄に、童話村の外観を思い出せるだけ。それ以外は全くと言っていいほど覚えていない。

だからこの夏、もう一度彼を訪ねるべく、花巻へ向かった。

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花巻にある関連施設のうち代表的なものは、宮沢賢治記念館、童話村、イーハトーブ館の3つ。
このうち、宮沢賢治記念館と、この上の写真にもある童話村を訪ねることにした。

宮沢賢治記念館の玄関には、猫のオブジェが2体。『猫の事務所』のキャラクターたちだ。
記念写真撮影スポットだったので、私も何枚か撮影することにした。
左が二番書記官の虎猫さん、右が三番書記官の三毛猫さんですね。

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猫のオブジェということで、『猫の事務所』のストーリーを知らない人はひとしきり和みそうな雰囲気だけれど、実のところ、この物語は人の悪意を描いたお話である。
この虎猫と三毛猫は、頑張るかま猫さんを陰湿にいじめ続ける役柄。
ということは、その真ん中に座って写真を撮った私は、言わばかま猫役か?
うーん、シュールだなあ。

宮沢賢治の作品は、数も多いだけあって、作品のテーマもバラエティに非常に富んでいる。
この『猫の事務所』や『オツベルと象』などは、社会風刺的な作品にあたる。同様に、代表作『注文の多い料理店』も、人間の卑しさ、傲慢さを描いた作品だと思う。
一方で、『水仙月の四日』は、日本昔話でも読んでいるような、ほんの少しの怖さと、人ならざるものとの優しい交流にほっとしたりする。かと思えば、『やまなし』のように、美しい自然の1ページを切り取ったような、活き活きとした明るい情景描写溢れる物語も書いている。
あるいは、『よだかの星』のように、一つの小さな命と宇宙を結びつけるようなファンタジー。
『なめとこ山のくま』のように自然と人間の共生における、悲しい運命を描く話。
それらの中でも、『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治が得意とする宇宙や鉱石にまつわる描写から、一人の少年の成長、友情、人の心の内面、ひいては、死のその先に何があるのか?といった深いテーマまで描いており、まさに代表作に相応しい作品だと思う。

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童話村へ行くと、入り口には3本の少し変わった電信柱のオブジェがある。
『月夜のでんしんばしら』を知っている人には、あっ!と思うとても嬉しい風景。

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童話村内に併設された"賢治の教室"(写真右下)では、彼の話に度々登場する、宇宙、鉱物、植物、鳥、動物それぞれについて、一つずつ部屋が設けてあり、様々な知識を学ぶことができる。
子供向けながら、説明の要所要所に、関連する作品名と、その中でどのように扱われているか、添え書きがあるのが嬉しい。

さて、一枚目の写真が、童話村の中心施設"賢治の学校"。
その中にある"ファンタジックホール"というのが、今回一番のお気に入りになった。
宮沢賢治の作品をモチーフとした椅子が置いてあり、その足下には作品の中に登場する1フレーズが彫られている。

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現代美術館のインスタレーションを見ているようでわくわくした。
こんな自分好みの場所なのに、前回来たときの記憶がないなんて!
私も10年経って、だいぶ惹かれるものや趣向が変わったということだろうか。

この写真の、素敵な椅子の下に彫られていたフレーズは・・・

あたりはもうすっかり夜になっていて
樺の木もまっ黒にそらにすかし出されていました。
「ポラーノの広場」より


『ポラーノの広場』は、主人公キューストが友人ファゼーロとともに、自分達の理想の"ポラーノの広場"を作り上げるまでの数年を描いた長編。
物語には、田舎町モリーオ市、センダード市、大都会トキーオといった場所が登場し、なんだか明らかにモデルになった地名がわかるのが少し面白い。
盛岡、仙台、東京と、宮沢賢治が辿った場所に似ていることから、キューストは作者の分身ではないかとも言われている作品。

私は宮沢賢治の辿った人生を良く知らなかったので、今までそのことを意識したことがなかったのだけれど、宮沢賢治記念館にて彼の生きた人生の系譜を見て、なるほど納得した。
完全に同じとは言えないけれど、やはり自分をモデルとするところはあったのだろうと思う。

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他の椅子の下には、こんなフレーズも。
『双子の星』の一節。
チュンセ童子とボウセ童子のお話は、知っている星座がたくさん登場するので読んでいて楽しい。
物語も、そんなに暗く、悲しくないので、ちょっと安心して読める一作。

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ファンタジックホールの中でも一際異彩を放っていたのが、この椅子。
こちらの足下に彫られていた一節は・・・

そして十力の金剛石は
野ばらの赤い実の中の
いみじい細胞の一つ一つにみちわたりました。
「十力の金剛石」より


『十力の金剛石』のクライマックスの一節。
ということは、この椅子は"野ばらの赤い実"なんだろうか。(キャベツではなく?)

『十力の金剛石』は、『やまなし』と並んで情景描写がとびきり美しい作品。
宮沢賢治の作品の中でも、明るく温かいストーリーで、私も大好きな一作だ。
"十力"とは、仏や神様が持つ10の不思議な力のことで、"金剛石"は、ダイアモンドのこと。
だからこのタイトルは"不思議な力を持つダイアモンド"。それは何なのか?

二人の少年が、"虹色の絵具皿"と"十力の金剛石"という宝物を探しに、虹を追いかけるお話。
森の奥の不思議な丘で、ダイヤモンド、トパーズ、アメジスト、アマゾンストーンといった宝石でできた花や草が一面に広がる場所に出会う少年たち。鉱物に詳しい賢治ならではの、多彩な描写で彩られた情景にぐっと惹き付けられる。
そして、そんな宝石の美しさだけでも十分印象的なのに、それ以上に美しいラストが待っている。
空や風、太陽や花びら、野原や、そこに立つ自分達の瞳。本当に美しいものは、自然と、そこに生きる自分達。世界そのもの。

賢治の作品にしては、あまり陰のない清らかなストーリーで、少年たちも年相応で大らか。
丘へ来る前は、身体にまとわりつく草木を裁ち切って歩いていた少年が、帰る道では、同じように邪魔な草木をそっと静かに外す姿が愛おしい。
そんなお話。




宮沢賢治記念館にて、彼の自筆を見て思ったことがある。
文字には強い力があるということ。言葉には劇的な、あるいはじわじわとした力があるということ。

何十年も前に、ある一人が書き記した走り書きのような文字が、後世ずっと読み継がれることがある。
書いた当人は会うこともないような、ずっと先の時代を生きる誰かの背中を押したり、心に残ったり、人生に作用したりする。

心ない言葉が、インターネットを通じて全世界に蔓延している現代、ポジティブな言葉と同じだけ、ネガティブな言葉も頻繁に目にするようになった。
震災のときは、様々な良い感情に励まされながらも、同じだけの醜い言葉や寂しい言葉に心が痛んだり、無力感を感じたりもした。

言葉の力って何だろう? 文字の力って何だろう?
使い方を誤れば、こんなふうに誰かを傷つけたりすることもできる怖さから、言葉の力に疑念を抱いていた節が自分にはある。

だけど、宮沢賢治の書いた文字に触れて、物語を読んで、ああ、文字や言葉にはこんな力があるんだったと、改めて気づかされた。
世の中の悪い面にもきちんと目を向けながら、こんなふうに冷静に言葉を紡ぐこともできる。
その同じ言葉で、こんな情景豊かに、人や自然、世界の素晴らしさを表現することもできる。

そのことに気づくことができたのが、この旅の一番の思い出かもしれない。
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by norlie | 2012-09-16 17:37 | ぷらっと岩手
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