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国道45号線ドライブ旅3 @宮城・南三陸から岩手・大船渡へ
この旅では、宿を大船渡にとっていた。
この日は仙台を出て、松島から東松島、石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田、そして大船渡へ。
これらの土地は、いずれも、5年前のあの日からテレビで何度も流れた場所。
国道45号線は、東日本大震災の被災地を通る主要道路でもある。

ここからはどうしても震災や津波の爪痕を感じずにはいられない景色が続いた。
思うところはたくさんあるけれども、あまりしんみりしないように書いていきたいと思う。

石巻を過ぎると、国道45号線は沿岸ではなく、かなり内陸を走るので、津波の爪痕と思われるような風景は少なかった。
だから、自分がそれを最初に目にしたのは、国道45号線が再び海にぶつかる町、南三陸町だった。
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南三陸町に入ると、国道45号線は大きく沿岸部に曲がり、海すれすれを走るようになる。
内陸部から山を下って、やがて海が見えた時、そこに広がっていたのは、町ではなく大きな空き地だった。

町一つ、確かにここにあったんだなと思うような広大な面積が、灰色の砂利に覆われている。
こんな内陸まで津波が押し寄せ、建物をさらっていったのだということが信じられない。
地面は舗装されておらず、砂利が敷き詰められていて、本当に広大な埋め立て地のよう。
建物はほとんどなく、クレーンや工事トラックがあちこちに止まっている。
なんというか、言葉もなく、呆然とするような広さ。

およそ建物のなさそうな道だったが、石巻から止まらず走ってきたので、そろそろトイレ休憩&コーヒー休憩したい心持ち。
休憩できる場所がないか、探しながら車を走らせていくと、プレハブの建物群を発見。
駐車場に車を止めて出てみると、そこには『南三陸さんさん商店街』の文字。

テレビで見たことのある場所だなとすぐにわかった。
南三陸町の被災地に仮設で営業している商店街。
公共トイレがあったのでお借りした後、コーヒーが飲めるようなカフェを探してみるも、見つからない。
地元の方に「コーヒーを飲める場所はありませんか?」と聞いてみると、近くの商店でコーヒーが飲める場所があると教えてもらった。

ヤマウチという酒屋さんで、入ると完全に商店街の酒屋の雰囲気。
しかし、お店の一角に素敵なカウンターがあり、その向こうにはエスプレッソマシンやコーヒー豆が見える。

酒屋のスタッフさんは、地元に住むお母さん方といった雰囲気で、三人の女性。
「コーヒーを飲めるって聞いたんですけど…」と言ってみると、「はい、飲めますよー!何にしますか?」と元気に聞いてくださる。
メニューを見て、とにかく暑い日だったこともあり、アイスコーヒーをオーダー。
しばらくして、お母さん方の一人がアイスコーヒーを手渡してくれる。

飲んでみると、おいしい!!
体に染み渡る香ばしさ、冷たさ!!
香りが良くて、鼻に抜けるようなコーヒーの味。うまーい!!

「おいしいです!」というと、お母さん方がにっこり笑ってくれる。
椅子を進められたので、カウンターの前に座り、お母さん方と少しお喋りをした。

「仙台から来たんですが、大船渡まであとどのくらいかかりますか?」
「大船渡までなら、もうすぐ夕方だから二時間半くらいはかかるんじゃないかねえ」
「道路混むもんねえ」
「わたしたち、八戸に帰る途中なんです。今日は大船渡に泊まるんです」
「まあ、八戸。私、叔父が八戸にいましてねえ」

そんな感じで、お母さん方の身内のお話を聞いたりする。
やがて、話は震災のことにも及んでいく。

お母さん方は、世間話をするように、震災のことを話してくれた。
私たち旅行者に気を遣わせないように、あまり感情的にならずに、話してくれた。
防災庁舎のアナウンスのこと、この仮設商店街のことなど、ニュースで知っている話もあったが、お母さん方の口から聞くと、ぐっと現実味を帯びたものになった。
震災後、天皇陛下がいらっしゃって、すぐ目の前に来て感激したことも聞いた。
こういう話を、これまでも多くの旅行者にしてきているんだろう。
私もあまりしんみりしないように、相槌を打つ。

コーヒーを飲み終わって、体もたっぷり休められて、そろそろ行きますと席を立つ。
「良い旅を」を言ってくださったので、「がんばってください」と返す。
とっさに出たのは、やっぱり月並みな言葉だった。

今は今という日常があり、それは5年前のものとは違う。
神奈川に住む私は、5年経って、復興がどのくらい進んでいるのか正直よく知らなかった。
東京周辺はすっかり震災前と同じような生活だし、5年も経てば復興もだいぶ進んだだろうというイメージを持っている人も少なくないと思う。

でも違う。
瓦礫だらけだった町は、瓦礫こそ撤去されたが、やっと更地に帰っただけの状態。
元あった建物も人も、戻ってはいないし、生活だって不便なまま。
生活が元に戻ったわけじゃなく、そこに住む人々が、むしろその生活に慣れただけなんじゃないかとすら思う。

復興ってなんだろう。
元に戻すこと?それとも、別の形で前に進むこと?
よくわからないけれど、この場所が、まだ復興のほんの道半ばにあることは、私にもよくわかった。

それでも、お母さん方の眩しい笑顔と、とびきり美味しいコーヒーに、南三陸町の気概と、人間の強さを見た気がしました。

16時頃、商店街を出る。
酒屋のお母さん方は「この時間だと、大船渡までなら二時間半くらいはかかる」と言っていたが、うちのナビさんは「大船渡なら一時間半で着く」と予測。
実際に車を走らせてみると、やはり正しいのはお母さん方のほうだとわかった。
途中の気仙沼あたりで、平日の帰宅ラッシュの時間になり、国道45号線は大渋滞。
亀のようにノロノロ運転で市街地を走ること一時間弱。
国道45号線は気仙沼でも沿岸部を走るため、震災の爪痕を多く目にした。
しかし、それ以上に大渋滞を起こすほど多くの人々が、この町で暮らしているんだということが、さすがは大きな市だけあって頼もしくも感じた。

山の稜線に日が落ち始める頃、車は岩手県に突入。陸前高田へ。
ここでは、45号線から遠くに奇跡の一本松が見えた。
「あれが、あの有名な松か!」と少し興奮。

陸前高田のあたりは、南三陸町に似たような雰囲気で、建物もほとんどなく、砂利の更地が広がっている風景だった。
そこにポツンと松が一本。
希望の象徴として、あるいは、生き残った強さの象徴として、心情を重ねてしまうのも無理ない風景。
私も、思わず手を合わせる。

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暮れなずむ国道45号線を走り、すっかり暗くなった頃、なんとか大船渡市に到着。
19時前くらいに、宿泊予定の大船渡プラザホテルにチェックイン。
疲れたー!!

外に食べに行く元気もなく、ホテルの1階で夕食。
リーズナブルで、かつ、とても美味しかった。
ボンゴレビアンコをいただいた。
大きなアサリがこれ見よがしにたっぷり入っていて、濃厚なアサリエキスがパスタに絡みつく。
素直に満足。
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こちらのホテルは各部屋についた浴室が広くて綺麗で、湯船に浸かってゆっくり休めた。
明日はいよいよ大船渡から八戸までの行程。
早めに就寝して、英気を養う。

by norlie | 2016-09-17 09:42 | ぷらっと南東北
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